パリ装飾美術館「ポール・ポワレ ― モードは祝祭である」展
パリ装飾美術館で開催中の展覧会「ポール・ポワレ ― モードは祝祭である」を鑑賞しました。
ポール・ポワレ(1879~1944)といえば、20世紀初頭に女性をコルセットから解放し、ファッションを芸術の領域へと押し上げた革新者。彼の名は、モードの歴史における革命の象徴として語り継がれています。
革命児ポワレの誕生
呉服商の家に生まれたポワレは、幼少期から演劇や美術に強く惹かれたといいます。
10歳のときに見た1889年パリ万博の眩い光景が、彼の創造の原点となりました。
1903年、自身のクチュール・メゾンを創設。
そして1907年のコレクションで発表した“コルセットを排したドレス”が、モード史を一変させます。流れるような直線のシルエット、鮮烈な色彩、そして異国趣味あふれる装飾。そこには自由を謳歌する新しい時代の息吹が宿っていました。
芸術と祝祭の融合
ポワレは単なる服飾デザイナーではありませんでした。
香水ブランド「ロジーヌの香水」を立ち上げ、装飾美術学校「マルティーヌ」を設立するなど、ファッションを“総合芸術”として広げていきます。
なかでも1911年に自邸で開催した仮装舞踏会「千夜二夜物語」は伝説的。招待状、装飾、音楽まですべてを芸術的に演出し、ゲストたちを幻想の世界へと誘いました。展覧会タイトル「モードは祝祭である」は、この精神を見事に体現しています。
旅が育んだ色彩の感性
ポワレの創造力の源には、旅があります。
妻ドニーズとともにロシアを訪れ、地中海を巡り、モロッコやアルジェリアの文化に触れることで、彼の色彩感覚はさらに磨かれました。
展示では、旅先でのスケッチや刺繍、テキスタイルの数々が紹介され、異国の風がポワレの作品にどう息づいたのかを感じ取ることができます。

アートとの共鳴
ポワレはラウル・デュフィやジョルジュ・ルパップ、ポール・イリブといった芸術家たちと積極的に協働しました。
デュフィによる《La Petite Usine(小さな工場)》(上の写真)は、彼のアトリエの創造的熱気を生き生きと描き出しています。
さらに映画『L’Inhumaine』(1924年)では衣装を手がけ、音楽、建築、絵画といった多様な分野とモードを結びつけました。ポワレにとってファッションは、あらゆる芸術が交差する舞台だったのです。
モードの王から伝説へ
しかし、第一次世界大戦後、社会はよりシンプルで実用的な装いを求め始めます。

1925年の「アール・デコ博」で披露した豪華な展示(上の写真)は話題を呼びましたが、経営は次第に悪化し、メゾンは閉鎖へと向かいました。
それでもポワレの精神は、ジョン・ガリアーノ(ディオール)、高田賢三(Kenzo)、アズディン・アライアなど、後世のデザイナーたちの創作に脈々と息づいています。
展覧会の終章で紹介される彼らのオマージュ作品は、ポワレの影響の大きさを改めて感じさせるものでした。
芸術家としてのクチュリエ
「私はクチュリエではない。アーティストである。」
ポワレのこの言葉が示すように、彼の仕事は服づくりを超えた総合芸術でした。衣服、香り、色彩、祝祭、そして人生そのもの――それらを一つの作品として生きた彼の姿を、この展覧会は鮮やかに描き出しています。
会期は、2026年1月11日までです。モードとアートの境界を超えた“祝祭”を、ぜひ現地で体感してみてはいかがでしょう。









































