旅行・地域

2017年8月20日 (日)

釈迦堂遺跡博物館 縄文遺跡を訪ねて

 中央道を通るといつも目に付くのが、縄文博物館こと釈迦堂遺跡博物館です。蓼科からの帰路、釈迦堂パーキングエリアから歩いて行ってきました。

Img_04391  何とも立派な施設でびっくりです。
 開館したのは昭和63年で、笛吹市と甲州市の組合立博物館となっています。1980年代初め中央道建設に際し、この付近で日本有数の縄文遺跡が見つかったそうで、遺跡をこの両市の遺産としたといいます。 

 館内には縄文土器がズラリと展示されています。
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Img_04021  右は縄文中期後半の土器で、釈迦堂遺跡の出土品を代表するものだそう。「水煙文土器」と記載されていました。

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Img_03991  土偶もたくさん見られます。
 多くは割れた破片でしたが----。数が多いのに驚かされます。

 
 

 

Img_04191  土偶作りの体験もできるようになっています。

 30分くらいで、200円だそうです。
 作ったらそのまま持ち帰れるとのことです。

 

Img_04341  庭園はよく整備されていました。
 その少し高いところに、復元された縄文人の住居址があります。
 右は縄文前期初頭のものでほぼ円形をしています。
 縄文中期のものは楕円形です。それも2つありました。

20170814164752imgp25821jpg  遊歩道には美しいピンク色のヒガンバナ、ナツズイセン(夏水仙)が咲いていました。

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2017年8月19日 (土)

蓼科山 山頂の蓼科奥宮神社目指して登山

 今夏はよく雨が降ります。それでもまたお盆休みに山へ行ってきました。東京からそれほど遠くない北八ヶ岳の蓼科山です。この辺りは何度も来たことがあるのですが、蓼科山には登ったことがありませんでした。

Imgp95611pg  登山口の7合目には大鳥居が立っています。
 ここをくぐると神域なのですね。
 山頂の蓼科奥宮神社目指して登山開始です。

Imgp95251  雨上がりの山道は、とくに苔の緑がきれいでした。
 おもしろいキノコもいろいろ生えています。
 昔から抗癌作用があることで知られるサルノコシカケもありました。
 これはなかなか見事です。

20170814070752imgp24341jpg  真っ赤なキノコも色艶やかです。
 名前がわからないのが残念です。

 

 途中にあった「天狗の露地」からの眺めです。雲の切れ間から女神湖が見えました。
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20170814094048imgp24811  ようやく宿泊先の蓼科山荘に到着しました。
 普通は1時間半の道のりなのに約2時間かかりました。苦しかった!
 山小屋を開いているのは若いご夫婦で、このあたり一帯は水場がなく、水は雨水を利用しているといいます。
 水がない苦労を身に沁みて感じた一夜でした。

 翌朝は晴れ間も見え、登山日和となりました。
 大きな石がゴロゴロしている急登で、またしても息が切れて苦しい!

 山頂は岩だらけの広々とした空間でした。標高2531m。ちょっと富士山に似ています。
 時折、日差しは射したのですが、雲が多く、残念ですが眺望には恵まれませんでした。
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Imgp95391jpg  山頂に佇む蓼科奥宮神社にお参りします。

 こんなに苦しいのに、なぜ山に登ってみたくなるのでしょう。きっと大自然の中にいる、非日常感がいいのでしょうね。
 もう次はどの山へ行こうかと、思っているのですからほんとうに不思議です。

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2017年8月18日 (金)

北関東織物の旅 ⑼ ジャカードスカート織のイヅハラ産業

 北関東織物の旅の最後を締めくくったのは、桐生の最先端ハイテク繊維企業、イヅハラ産業です。
 同社は、「イヅハラ織」と呼んでいる独自のジャカードスカートをデザインから一貫して製作しています。コンピュータージャカードを駆使して、織物の段階でスカートの形状を形成するジャカード織物をつくっているのです。
 この3月、桐生テキスタイルプロモーション展が東京で開催され、出展していた同社ブースをこのブログ2017.3.18付けのなかで紹介しています。ご参照ください。

 閑静な住宅地に建つモダンな社屋で、迎え入れて下さったのが代表取締役社長の赤石重男氏です。
 
 さっそくコンピュータージャカード機が並ぶ工場を見学させていただきました。

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 ジャカードスカート織は、ウエストに相当する部分を山形に形成して一体に織り上げていきます。  
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 Img_03631jpgポリウレタン繊維を使うことで、プリーツ状のギャザーを出しているのですね。 

 右は織り上がったジャカードスカート織です。裾にバラの花のボーダーが入っています。 

Img_03571 たまたま経糸をつなぐ日だったということで、そのめったにない現場も見せていただきました。

 



 資料室には、これまでに開発されたたくさんのジャカードスカート織のサンプルが展示されていて、圧倒されます。
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Img_03751  キュートなフリル織のジャカードスカートです。
 ベース布とフリル布を同時に織り上げるものだそう。
 刺繍のように見えますが、織り柄です。

 

 イヅハラ産業ではこんな風にして、スカートやワンピースのセミオーダーを手がけているのですね。それにしても織物で服の形をつくってしまうとは!

 驚きの連続の訪問でした。

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2017年8月17日 (木)

北関東織物の旅 ⑻ 小林当織物 電子ジャカード機と資料室

 北関東織物の旅で桐生に来て、ジャカード織服地で著名な小林当織物を訪問しました。
 国内はもとより海外でもミラノウニカに出展するなどしている人気企業です。私も何度か取材させていただきました。

 代表取締役社長の小林雅子氏と常務取締役の村岡謙一氏のお二人が、出迎えて下さり、工場組と資料室組の2班に分かれて見学しました。

 工場では、最新鋭の電子(コンピューター)ジャカード機が2台、ドーンと設置されていたのが印象的です。
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 織機はドイツ製ドルニエで、電子ジャカードはベルギー製ボーナスです。昨年春に導入したとのことで、日本製ではないのがちょっと残念でした。この分野ではヨーロッパが先行しているといいます。
Img_03441 細い糸から太番手まで、どんな素材でもこなせるそうです。
 機械の動きはとにかく早いです。見ていると目が回ってきます。

 生産は主に受注で、婦人服地が8割とか。小ロットにも対応しているといいます。
 
 資料室では、設立時以来のサンプルがどっさり。でもきちんと分類展示されていました。

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Img_03491jpg  かつて大ヒットしたという梨地楊柳(写真左)から職人の手仕事による突っ切り、装飾的なゴブラン織など様々。
 これら貴重な資料の中から、新素材が生まれていくのですね。アーカイブを残すことの大切さを改めて思います。

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2017年8月16日 (水)

北関東織物の旅 ⑺ 織都の歴史を伝える桐生織物記念館

 北関東織物の旅で、織都桐生1300年の歴史と今を伝える桐生織物記念館に行きました。
 同館は1934年(昭和9年)に桐生織物協同組合の事務所として建てられ、国の登録有形文化財に指定されている桐生を象徴する建物といいます。

 同組合専務の藤生孝昭氏のお計らいで2階に上がり、スタッフの方に重厚な風格の館内を案内していただきました。

Img_03081jpg  生糸から糸染め、整経、ジャカード織などの工程を、道具や機械の説明を受けながら、一通り巡ります。

 展示室では様々な桐生織の技法を用いた織物が展示されています。
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とくに目を引いたのが、新田義貞の軍旗「中黒古旗」の復元です。
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鎌倉攻めの際の資料、稲村ケ崎で太刀を投げ入れ龍神に祈ると、塩が引いたという逸話を描いた絵も展示されていました。

Img_03211  明治天皇の肖像画を織りで表現した写真織もありました。明治41年頃のものだそうです。
 とにかく細かい、繊細な技が印象的です。

 1階は販売場になっていて、和から洋まで、様々な製品が販売されています。
 桐生産地のものづくりの全貌を紹介する、すばらしい施設でした。

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2017年8月15日 (火)

北関東織物の旅 ⑹ 桐生織と共に のこぎり屋根の後藤織物 

 北関東織物の旅の3日目は、西の西陣、東の桐生と言われる桐生織物の見学です。

Img_02511  最初に訪れたのは、明治3年(1870年)創業の格式ある桐生織の店、後藤織物です。いかにも老舗らしい立派な門には、文化庁認定の日本遺産の立て札が立っていました。

 ここは昔ながらのギザギザの三角屋根、のこぎり屋根の絹織物工場があることで有名です。
 同社4代目で現在顧問の後藤隆造氏が迎えてくださり、常務の後藤充宏氏のご案内で、まずは工場へ向かいます。
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 お話によると、のこぎり屋根はイギリスが起源だそうです。北側にガラスの高窓をつくることができるので、自然光が得られるのですね。北からの光は一年中安定しているので、織物の色合いをチェックするのに最適なのだそうです。

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Img_02611  工場内にはジャカード織機が約30台、ずらりと並んでいました。この機械で美しい帯地を生産しているのです。
 模様に対応した穴の開いた紋紙で織機の糸の上げ下ろしを制御し、複雑な柄行きの布を織っていきます。

Img_02691  一反織るのに紋紙は少なくとも8,000枚必要で、一週間以上かかるとか。

 その紋紙の束を見せていただきましたが、数の多いのにびっくり!

 

 次に資料室です。後藤常務の解説で、紋織物や丸帯、袋帯などの帯地を拝見しました。
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Img_02751  さすがに見事なものばかり。
 映画「SAYURI」(平成19年)では、同社の帯が使われたそうです。
 格調の高い華麗な技に一同うっとり。
 

 

Img_02531  お座敷では織り上がった七五三の祝帯の糸を切る仕上げの手作業が行われていました。

 周囲が電子化を進める中、同社もコンピュータジャカード機を3台入れているそうです。
 とはいえそれよりも、伝統の技術を守ることの方に力を入れていきたいとおっしゃっていました。何か頭が下がる思いがしたことが思い出されます。 

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2017年8月14日 (月)

北関東織物の旅 ⑸ 結城紬奥順「つむぎの館」と工房見学

 北関東織物の旅で、ハイライトは結城紬の奥順「つむぎの館」訪問でした。
 本場結城紬は日本の絹織物の原点を今に伝える布です。その製作工程は、世界に誇るべき日本の技として、ユネスコ無形文化遺産に登録されています。また「糸つむぎ・絣くくり・地機織り」の三工程は日本の重要無形文化財に指定されています。
 奥順は結城紬の企画とデザイン及び販売流通を請け負う製造問屋です。2006年に資料館・つむぎの館を敷地内にオープンし、結城紬の生産に携わってきた産地の資料を一堂に集めて保存し、その文化を伝えています。

 到着すると奥順の若旦那、代表取締役専務の奥澤順之が迎えてくれ、すぐに工房の須藤商店へ連れて行ってくれました。ちなみに須藤商店の代表、須藤〓(あきら)氏は本場結城紬染織製作技術者で、2015年度文化庁長官から表彰されています。

 工房では、本場結城紬の代表的な3つの工程をじっくり見学しました。

Img_01911 まず「糸つむぎ」です。
 右の写真のように「つくし」という道具に真綿を巻き付けて、指先で糸を紡いでいきます。 
 本場結城紬の糸は生糸ではなく、このように真綿から直接紡ぎ出してつくるのです。

Img_01971jpg  左は紡がれたばかりの手紡ぎ糸です。
 それを経糸にも緯糸にも使用するのが、他の紬にない結城紬の特徴とか。

 極々繊細でやさしげですね。

Img_02081  次に「絣くくり」です。
 柄にする部分に染料が染み込まないよう綿糸でくくっていきます。
 1反の幅で一番単純な亀甲模様でも160カ所以上縛るそうですから、何とも根気のいる作業です。

 さらに「地機(じばた)織り」です。
Img_02041_2  地機という手織り機は、もっとも古くから使われている織機です。居坐機(いざり)機とも呼ばれてきたものですね。
 タテ糸を腰でつり、必要な時にだけタテ糸に張力をかけて織っていきます。

 気が遠くなるような作業の連続にため息が出ました。

 奥順「つむぎの館」に戻り、本場結城紬の展示場に入りました。
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Img_02351jpg  奥澤専務による解説があり、一同耳を傾けました。

 糸をつくる真綿について、いかに軽くてふんわりとしているか、宙に浮かせて見せてくれたのも印象的でした。

 結城紬の反物にも二種類あるそうです。
Img_02411  すべてが昔ながらの手作業でつくられる本場結城紬には「結」のマークが入っているとのことです。
 左が「結」のマークの本場結城紬です。

 なお「紬」マークのものは、「いしげ結城紬」と呼ばれていて半手仕事・半機械によるものだそうです。こちらの方が少しだけお値段がお手頃なのですね。

 それにしても本場結城紬が世界的に注目されている、その理由がつかめた気がしました。何しろ2000年も前から技術に変わりがないのです。我が国最古の絹織物として、その技術が脈々と受け継がれてきた、その事実がここにありました。
 「変わらない」ことがどんなに大変なことか、奥澤専務がとくに強調されていたことです。この伝統的な技術の継承者を増やす支援がもっともっと必要なのに----、と思わざるを得ません。ちょっと複雑な気持ちで、「つむぎの館」を後にしました。

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2017年8月13日 (日)

北関東織物の旅⑷ 自然に佇む濱田庄司記念益子参考館

 真岡に来たら、益子はすぐそこです。益子は人間国宝の陶芸家 濱田庄司の活動で著名になった町です。ここに来たら、濱田庄司記念益子参考館に行ってみたいと思っていました。
 そこで少しの時間を利用して、濱田庄司コレクションを見に行ってきました。
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 濱田庄司記念益子参考館は、濱田庄司の旧宅です。樹木に囲まれた閑静な自然の中に佇んでいました。
 
 展示室では新しく始まった企画展「SLIP WORKS /泥しょうの仕事」が開催されていました。
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 その概要によると、濱田庄司は1920年、バーナード・リーチとともにイギリスへ行き、世間で忘れられた存在になっていた「スリップウェア」に出会います。スリップウェアとはスリップ、すなわち泥しょうで装飾した陶器です。二人は、その素朴で肉厚な柔らかい質感に感動し、スリップウェアを収集したそうです。

Img_01491jpg_3 今回出品されたのは、その頃のコレクションの一部で、そ の後の彼らの作陶や民芸運動に強い影響を与えることになったといいます。
 どこか懐かしい味わいの、どっしりとしたスリップウェアは、シンプルでモダンな感覚で、お料理をおいしく引き立ててくれそうです。
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 古色蒼然とした草ぶき平屋建ての広壮な邸宅。1850年に建てられて、1942年にこの場所に移築されたといいます。
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 濱田庄司の居室です。温かな重厚感で迫ってきます。
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 濱田庄司が使用していた工房(細工場)です。手回しロクロがありました。83歳で亡くなる直前まで、ここで作陶していたとか。
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 窯場には、大きな登り窯がズラリと並んでいました。東日本大震災で被災したと聞いていましたが、修復されたようです。
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Img_01331 この他、上絵付け用の赤絵窯も見ることができました。

 思い切って「訪ねてみてよかった!」というのが率直な感想です。

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2017年8月12日 (土)

北関東織物の旅 ⑶ 真岡木綿会館と岡部記念館金鈴荘

 北関東織物の旅で、真岡木綿会館を訪れました。
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Img_01621jpg  館内では機織り・染色が行われていて、実際に見学したのは機織りでした。
 織機は全部で34台あり、現在織り手は初心者からベテランまで、14人だそうです。織り上がった反物は、会館がすべて購入する仕組みといいます。

 綿も栽培されていますが、綿畑は別の場所にあり面積は約300坪。Img_01701 育てているのは和綿で、茶綿や緑綿もあるそうです。
 畑に行くことができませんでしたので、代わりに会館前に置かれていたプランターを持ってきてくれました。ちょうど開花の時期で、芙蓉のような美しい花が今まさに開くところでした。

1_2  江戸時代、真岡と言えばそのまま木綿の代名詞として通用した時期があったといいます。江戸の木綿問屋はこぞって真岡木綿を求め、木綿仕入高の約8割が真岡木綿であったという記録もあるそうです。
 赤穂浪士の討ち入り装束も真岡木綿だったとか。その復元された衣装も展示されていました。

 

 隣接する真岡木綿問屋としても栄えた岡部呉服店の岡部記念館金鈴荘にもご案内していただきました。
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 割烹料理店だったという名残もあり、床の間の紫檀、黒檀、襖絵など、しばし歴史の重みを感じたひと時でした。

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2017年8月11日 (金)

北関東織物の旅 ⑵ 大麻博物館「農作物としての大麻」

 服飾文化学会の夏期セミナー、北関東織物の旅の2日目は、大麻博物館からスタートしました。
 大麻博物館は、2001年に栃木県の那須高原にオープンした私設の小さな博物館です。
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 実はこのブログ2016.7.29付けで、紹介していますのでご参照ください。私は高安淳一館長のお話を伺い、ぜひ現地を訪れてみたいと思っていました。
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 大麻というと「えっ、大丈夫なの?」と言われ続け、違法な薬物と認識されています。 しかし大麻は、古来より人々に親しまれ、繊維を衣服や縄・釣糸・漁網に、種を食料に、茎を建材に、葉や根を薬用にと幅広い用途で利用され、神道の世界ではその繊維を清めの道具として用いるなど、日本の伝統・生活文化と密接な関わりを持つ農作物だったのですね。
 とくに栃木県は、国内生産の約90%を占める大麻の産地となっているそうです。

 とはいえ1950年代に大麻取締法が発効して以来、大麻には悪いイメージがつきまとっています。
Img_00901 高安館長の危機感は非常に強いものがあるようで、今年の年頭に「大麻という農作物」という著書も出版されました。私も購入して読ませていただきました。

 かつて麻と言えば大麻のことを指しました。麻に大を付けて大麻というようになったのは、他の麻と区別するため、埋没しないようにするためであったといいます。また大いなる、という尊重の意味を込めての名称でもあったとか。

 実際、麻には様々な種類があり、おなじみのリネンは亜麻ともいい亜麻科の植物、苧麻はラミーで日本では「からむし」とも言われるイラクサ科、そして大麻は英訳するとヘンプで、これこそ真のあさ科植物だそうです。とはいえ日本の大麻布と海外のヘンプでは様々な点で違いがあるといいます。
 たとえば糸づくりでは、海外産ヘンプは機械紡績で、繊維の構造をバラバラにしてから糸にするのに対し、Img_01031jpg日本の大麻布は、手作業で繊維を延々とつないでいくのだそうです。
 生えていたときの天地の向きを変えないように、また繊維の空洞のチューブ構造を活かしながら績んでいくそうで、その方法を館長ご自身が実演してくれました。

Img_00861jpg  こうしてつくられた大麻布は柔らかくて、使い込むとベビーの肌着にも使えるといいます。

 

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 早く乾いて濡れないことも実験して見せていただきました。
 チューブ構造のため繊維内に水分を保持し、蒸気として発散するので、濡れた大麻布を身に着けても、さらっとした感触なのですね。
 夏涼しく、冬温かい性質も中空の綿繊維に似ています。

 丈夫で耐久性があるのも麻の特徴です。昔から漁網やつり糸などにも利用されてきたといいます。
 あるとき館長も大麻のつり糸で釣りをしたそうです。そうしたら植物なので魚が自然に近寄ってきて、おもしろいように釣れたとか。そんな楽しいエピソードも印象的でした。

 今回の訪問で、大麻が、夏の暑さや冬の寒さを防ぐように日本で独自に進化した自然素材だったことが分かりました。「農作物としての大麻」、その文化の啓蒙活動に取り組む高安館長に改めて敬意を表します。

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