文化・芸術

2021年2月13日 (土)

ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ展 二人の歴史追体験

 先日、ソニーミュージック六本木ミュージアムで開催中の「ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ」展に見てきました。 
 
 昨年はジョン・レノン生誕80年、没後40年でした。これを記念してその前年の2019年に、ジョンの故郷であるイギリス・リバプール博物館で大規模な展覧会が行われ、70万人もの人を動員したといいます。
 ヨーコの故郷、東京では、この節目の年の11月に本展が実現、会期が2月18日まで延長されました。「ダブル・ファンタジー」というアルバムは、1980年にリリースされ、私はそれをいち早く購入して、聞いていたものです。ところがこの年の12月8日、ジョンは銃弾に倒れたのでした。
 実は私は本展を見逃していました。会期延長を知って急遽、二人の歴史が詰まったこの企画展を追体験してきたのです。
 
 まずは二人の生い立ちや出会いが紹介されます。
 Img_35971 上はヨーコが1966年にインディカ・ギャラリーで発表したインスタレーションです。
 天井に吊るされたキャンバスに書かれた「YES」の文字をヨーコが虫眼鏡を使って読んだというパフォーマンスで話題になった作品です。
 このときギャラリーを訪れたジョンが、展示されていたリンゴを齧ってしまったそうで、ヨーコのジョンに対する第一印象がとても悪かったという面白いエピソードが綴られていました。

Img_35931  1969年3月、二人はジブラルタルで結婚式を挙げます。上はそのときの白いウェディング衣裳です。
 
Img_36051jpg  「平和のためのベッドイン」の展示です。結婚式を終えた二人がアムステルダムのホテルで報道陣を招いて行ったもので、彼らなりの反戦運動の「座り込み」だったのですが、この話をテレビで見たときの衝撃は今でも忘れられません。
 Img_36091  「ベッドイン」のイベントで象徴的なギターです。ジョンによる二人の自画像が描かれています。
 
Img_36281  ビートルズ解散後の1971年、ヨーコとジョンはニューヨークに移り住みます。上の袖なしTシャツは、ジョンがニューヨーカーの代名詞となったといわれるものです。この年、名曲「イマジン」がリリースされています。
 
Img_36311  しかしその後、1973年、「失われた週末」事件が起こります。仲のよい二人にも危機があったのですね。写真を見ると雰囲気が似ているなと思います。
 
Img_36451  1975年、一人息子のショーンが生まれて、ヨーコと愛らしいショーンのステキな絵画やショーンの抱っこ紐が展示されていました。
 
Img_36471  ヨーコとレノンが来日した時に着用していた二人の私服です。
 
Img_36651jpg  最後の展示が、ジョンを追悼する「ストロベリーフィールズよ、永遠に」です。セントラルパークの「ストロベリーフィールズ」と呼ばれる区画には、モザイクが美しい、真ん中に「IMAGINE」とデザインされた文字のある円形の記念碑があって、ニューヨークの観光スポットになっているのですね。
 
 場内にはいつも「イマジン」の楽曲が静かに流れていました。
 これほどに平和を願っていたジョン・レノン、それなのにFBIやCIAから、危険人物としてつけ狙われていたといいます。真相は未だに謎のままです。
 
 銃規制は結局ままならないアメリカ社会、ジョンが生きていたら、何を想うのでしょうか。複雑な思いにとらわれながら、会場を後にしました。

 なお、東京展の1分間ダイジェスト映像が公開されています。音声がミュートなのが残念ですが、雰囲気が伝わります。

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2021年2月12日 (金)

香りの器 高砂コレクション展 香水瓶に美術品の存在感

 今、パナソニック汐留美術館で「香りの器 高砂コレクション展」が開催中です。D54e794aa4e470bec9fd2f612a81410b 古代オリエントから近代ヨーロッパ、日本まで、香水瓶など様々な器を中心に、香り文化を伝える古今東西の資料が勢揃いしています。
 「高砂コレクション」は、高砂香料工業が所蔵する古今東西の香り文化を伝えるコレクションです。本展はその質の高いコレクションから選りすぐりの約240点を展示しているといいます。一点一点が美術品としての存在感を放っていて、小さな香水瓶もこれだけたくさん集まっていると見応えがあります。
 
 とくに興味深く思ったものを挙げてみます。

 まず古代です。最古の器として、紀元前10世紀~4世紀頃の古代オリエントの香油壺が並びます。縄文土器に似た模様のものもあり、東西交流の足跡をうががわせています。
 次に17~19世紀です。陶磁器やカットガラスの技術が進歩し、香水瓶は貴族女性のステータスシンボルとして、装飾的なアクセサリーのような存在になっていったようです。携帯用のペンダント香水瓶も流行った様子で、数点出品されていました。望遠鏡付きの香水瓶もあって、ビックリ!
 
 中でももっとも目を惹いたのが、19~20世紀の展示室です。撮影もここだけ許可されていました。

Img_32091  上は展示室の真ん中に設置されていたのがボヘミアン・ガラスの香りの器です。卓状型香水瓶の美しさに目を奪われました。
 これらは当時ウィーン市民の間で流行ったビ―ダーマイヤー様式でつくられているといいます。ビ―ダーマイヤーはロココよりシンプルで、後のバウハウスの礎となったと様式といわれていますが---、今の私たちから見るとずっと優雅で装飾的です。

 その隣のコーナーではアールヌーボーからアールデコにかけて活躍したエミール・ガレやルネ・ラリックの香水瓶が数多く展示されています。
 Img_32331  上はガレの《アネモネ文様》の香水瓶です。1904年頃。

Img_32421  ラリックの《ユーカリ》と名付けられた、1919年のティアラ型香水瓶です。ユーカリの葉が垂れ下がるモダンなフォルムが圧巻!です。
 
 さらに20世紀前半に入っていきます。ファッションブランドやメーカーが盛んに香水をつくるようになっていく時代です。
 とくに注目はオートクチュールとして初めて香水を発売したポールポワレの《ロジーヌ》です。特別出品されたアールデコのサロン風コーナーに展示されていて印象的でした。
 スキャパレリの太陽王やミスディオールのカワイイ子犬の香水瓶など印象に残るものから華麗なバカラまで、たくさんの作品を見ることができます。
 
 最後に、日本の香道の道具、香木の希少な展示を拝見して出口です。

 会場に香りはまったくないのに、いろいろな香りにむせたような気分になりました。ステキな展覧会で、会期は3月21日までです。

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2021年2月11日 (木)

「眠り展:アートと生きること」様々な眠りの解釈

 最近眠れないことがあって、睡眠に興味を持っていた私。東京・国立近代美術館で開催されている「眠り展:アートと生きること ゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで」に行って来ました。Img_33101
 本展は、「眠り」がいかに芸術家たちの創造を駆り立ててきたか、様々な美術作品に表現された「眠り」の表現をゴヤ、ルーベンスから塩田千春まで、33名の約120点の作品で読み解くというものです。

 展覧会は序章「目を閉じること」から始まり、「夢かうつつか」はっきりしない状態、眠りと死を考える「生のかなしみ」、眠りは苛烈な行為から目をそむけることでもあるという「私はただ眠っているわけではない」、眠りの後に訪れる「眼覚めを待つ」、最後に「もう一度目を閉じて」で終わります。
 睡眠と夢の話が中心と思っていましたが、上記のようにたくさんのテーマがあって、興味深かったです。

Img_33111   ペーテル・パウル・ルーベンス《眠る二人の子供》1612-13 年頃
  すやすやと無心に眠るあどけない寝姿の子どもたち。まるで天使のようで、ほっとさせられます。

Img_33171  フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス 「ロス・カプリーチョス」より《理性の眠りは怪物を生む》1799年 
 眠りにつく芸術家にフクロウが銅版画制作に必要な針を渡しているシーンです。夢をみながらアイデアが湧くことってよくありますね。眠りが想像力を生む、創造の源泉であることを示唆している作品で、印象深いです。

Img_33291jpg  台湾のジャオ・チアエン《レム睡眠》2011年 映像作品です。
 映っている人物は出稼ぎ労働者たち。眠っているかと思えば目が開いて語り出します。レム睡眠は浅い睡眠で、夢をみやすいといいます。夢に出てきた働く現場のちょっと辛い話をしているようです。

Img_3333j1pg  塩田千春《落ちる砂》2004年 映像作品です。
 ベッドに横たわる女性は塩田千春本人でした。それが次の瞬間、突如消え去ります。眠りは、一瞬の死ともいわれます。そんな生と死を暗示する作品です。

Img_33471_20210207155701   森村泰昌《なにものかへのレクイエム (MISHIMA1970.11.25-2006.4.6) 》
 三島由紀夫に扮した森村泰昌が「清聴せよ」と呼びかけても誰も目を向けません。聴衆は目覚めてはいるものの、眠ったような状態にあるという風刺。眠りには、現実に対する抵抗という意味合いもあるということのようです。

 他にもたくさん。「眠り」と一言でいってもいろいろな解釈の仕方があることが分かっておもしろかったです。
 開催は2月23日まで。会期は終盤、興味のある方、お早めにどうぞ。

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2021年1月31日 (日)

ATELIER MUJI GINZA 動詞の森『MUJI IS』を携えて展

 東京・無印良品 銀座のATELIER MUJI GINZAで「動詞の森『MUJI IS』を携えて展」が開催されています。
 本展は、昨年10月、創設40周年を迎えた無印良品が出版した書籍、『MUJI IS 無印良品アーカイブ』で取り上げた動詞と一緒に無印の商品を紹介する展覧会です。当初から無印ファンの私です。先日、告知を見て行ってきました。

Img_33701jpg ギャラリーにはたくさんの紙管が立ち並び、森の樹木のようです。全部で15本あり、その一つひとつに、書籍『MUJI IS 無印良品アーカイブ』から引用した15の動詞と解説が記されています。

 紙管には大木の洞(うろ)を思わせる穴が開いていて、のぞき込むと真っ白な内部には、動物ならぬ商品が展示されています。
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「気づく」では持手に自分の“しるしを付けられる傘”が、Img_33791 また「寄りそう」では “お着換えパジャマ” というように、ショップで今、販売されている商品がライトを浴びて目に迫ってきます。
 ここには何があるのかな、とつい好奇心をそそられる興味深い設計です。今後の巡回展を考慮して、紙管を持ち運びしやすい入れ子式にしているそう。
 空間構成を手掛けたトラフ建築設計事務所の鈴野浩一さん、さすがです。
 
 軽くてシンプル、さりげない無印良品らしい企画展で、ますます好感を覚えました。
 会期は2月21日までです。ファンの方はお早めにどうぞ。

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2021年1月30日 (土)

祈りのデザイン展―47都道府県の民藝的な現代デザイン

 「祈りのデザイン展―47都道府県の民藝的な現代デザイン」を見に、渋谷ヒカリエへ行ってきました。2018年から2年毎に開かれている展覧会で、今回で2回目。コロナ禍による会期延長で2月8日まで開催されています。Img_33071jpg
 テーマは「祈りのデザイン」です。ホールには、47の都道府県から1つずつ選ばれた生活用品が、伝統工芸から若い世代によるクリエイション、観光や食文化まで展示され、ショップで販売もされています。
 
 一点ものの芸術作品ではないのですが、それぞれに個性的な「美しさ」を感じます。こんな風に適度に量産されているものに、民藝本来の精神が宿っているようです。
 
 下記、日本各地の選りすぐりの中から、とくに布製品をいくつかご紹介します。
 
北海道:点と線模様製作所
 身の回りの風景や植物などのモチーフを刺繍で表現したストールやミニバッグ、クッションカバーなどを出品。樹木のデザインは、雑木林の間を風が吹き抜けていくようです。クッションカバーは温もりのあるニット地です。Img_32891
青森:弘前こぎん研究所

 こぎん刺しは 農家の女性たちが家族や大切な人に思いを馳せながら、着物を差し綴ったものといいます。そんな愛情が感じられるポーチやブックカバーなど。
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東京:mina perhonen/ミナ ペルホネン
 卵の形をしている「エッグバッグ」シリーズです。洋服裁断時の端切れを使用してつくられているそう。
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岡山:倉敷本染手織研究所
 「家庭で家族のために糸を紡ぎ、染めて、織り、家族に着せなさい」を忠実に受け継ぎながら織られたというノッティング織の椅子敷きです。大胆なデザインが印象的です。Img_33011

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2021年1月19日 (火)

石岡瑛子展「グラフィックデザインはサバイブできるか」

 アートディレクターやデザイナーとして世界的に活躍した石岡瑛子の展覧会が今、ギンザ・グラフィック・ギャラリーで開かれています。現在、東京都現代美術館で開催中の「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」を見た私は、この回顧展にも足を伸ばしてきました。Img_30161
 タイトルは「グラフィックデザインはサバイブできるか」です。これは石岡瑛子が「こんな世界でよくサバイブできているわよね。私」と言った言葉だそう。この語りを書き記したのは、作家・編集者の河尻亮一氏で、石岡瑛子の生前に、4時間にも及ぶ長いインタビューを行ったといいます。
 「いつも崖っぷちにつま先で立っている。---合言葉はサバイブ」のフレーズも、石岡瑛子のクリエーションの本質を突いているようで、印象的です。
 ギャラリー入口ホールの赤いカーテンは、こうした石岡瑛子の文言で埋め尽くされていました。「グラフィックアート」の映像を見ながら、真っ赤に彩られた空間にしばし没入します。
 
 地下の展示室では、60年代から70年代にかけての石岡作品が所狭しにディスプレーされています。
Img_30041_20210123111001  上は資生堂の「太陽に愛されたい」(1966年)のポスター。これを見てモデルの前田美波里に憧れたことが思い出されます。
 
Img_30071  渋谷パルコの「裸を見るな。裸になれ。」(1975年)のポスターも展示されていました。女性の権利に対して高い意識をもって仕事に取り組んだ石岡瑛子、その姿勢が分かる、衝撃的なビジュアルです。
 Img_30081  これも渋谷パルコのポスターです。「西洋は東洋を着こなせるか」(1979年)と挑戦的なメッセージが載せられています。石岡瑛子はデザインの世界に日本的発想を採り入れて、旧態依然の西欧に向けて快進撃していったのですね。
 
 従来のタブーを打ち破り、新しい世界を切り拓いた石岡瑛子。一人の日本人女性として尊敬の念を覚えずにはいられません。

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2021年1月18日 (月)

初 回顧展「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」

 昨年末、東京都現代美術館で開催されている「石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか」展に行ってきました。 石岡瑛子と言えば、数々の記憶に残る広告から映画・舞台衣裳のデザインで世界的に知られるアートディレクター/デザイナーです。世界初という大規模な回顧展でもあり、ワクワクする気持ちで美術館に足を運びました。もう思っていた以上の感動の連続---。見終わった後もその余韻冷めやらず、でした。Img_28831jpg
 タイトルの「血が、---」という表現も刺激的です。
 Ihttps3a2f2fseximgjp2fexnews2ffeed2fohta これは石岡瑛子が2003年の世界グラフィックデザイン会議で行ったスピーチ、「血がデザインできるか、汗がデザインできるか、涙がデザインできるか。別の言い方をするならば、『感情をデザインできるか』ということです。私の中の熱気を、観客にデザインというボキャブラリーでどのように伝えることができるだろう。いつもそのように考えているわけです」に由来するそうです。
 この文言は入口の真っ赤な壁に綴られていました。石岡瑛子はまさに「感情をデザインする」アーティストでした。改めてその熱気に打たれたわけが分かったように思いました。

 常に時代の最先端をリードし、枠組にとらわれない、むしろその枠をはみ出して、ジャンルも国境も常識も超えて活躍した石岡瑛子。本展はその幅広い創作活動を辿る構成になっています。大きく3章に分けられ、作品には石岡瑛子が発した言葉による解説が添えられています。
 館内には石岡瑛子の最後のインタビューの音声が絶え間なく流れています。まるで天に昇った彼女の声が地上に降り注いでいるかのよう。クリエーションとは何か、デザインとは何か、語っているのはその本質的な行き方です。私も思わず立ち止まって聴き入りました。

 ここからは章ごとに興味深く思った展示をご紹介します。

1. TIMELESS(タイムレス) 時代をデザインする
 石岡瑛子が芸大を卒業してグラフィックデザインの道を志した1960年代初頭から70年代にかけての作品が並びます。
 資生堂に入社して、まだ無名だった前田美波里を起用した「太陽に愛されたい」や、渋谷パルコのキャンペーン「裸を見るな 裸になれ」のポスターが目に入ります。これら鮮烈なヴィジュアルが石岡瑛子のディレクションにより創られたことを再び実感、懐かしさでいっぱいになりました。
 
2. FEARLESS(フィアレス) 出会いをデザインする
1_20210122104001  1980年、ニューヨークに拠点を移した石岡瑛子の舞台や映画など多岐にわたる仕事を振り返ります
 日本人初のグラミー賞(1987)を受賞したマイルス・デイヴィス『TUTU』のジャケットデザインや、ミシマの金閣寺も荘厳な美しさを放っていました。
 映画『ドラキュラ』の衣装でアカデミー賞衣装デザイン賞を受賞(1993)した作品展示はほんとうにすばらしくて---、映画で見る以上の迫力でした。(右写真はパンフレットから)
 
3. BORDERLESS(ボーダーレス) 未知をデザインする
478429  アカデミー賞受賞後も自らの個性を進化させ、駆け抜けていった石岡瑛子の円熟期の作品グループです。
 ターセム・シン監督との映画『落下の王国』の独創的な衣装や、北京オリンピックの開幕式の衣裳、オペラ『ニーベルンゲンの指輪』の壮麗な衣装(右写真 パンフレットから)など、石岡作品には、「西洋は東洋を着こなせるか」(パルコ、1979年)もそうですが、東洋のイメージ、とくに日本のきものの影響を色濃く感じます。日本の伝統的な織物産地の生地も随所に見られました。
 その一方、目を瞠ったのがシルク・ドゥ・ソレイユのコーナー。ファンタジックで幻想的な世界を現出しています。

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 最後に「白雪姫と鏡の女王」で鏡の女王に扮したジュリア・ロバーツが着装したウエディングドレスが展示されています。映画で見た衣裳をガラスケース越しでなく、こんなに近くで直に見ることができるのも本展の魅力です。(上写真はパンフレットから)

 石岡瑛子の創作のモットーは、「オリジナリティ」と「タイムレス」、「レボリューショナリー」だったそうです。そのエネルギーに圧されて、石岡瑛子ワールドに没頭したひと時でした。

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2020年12月19日 (土)

ヨコハマ・パラトリ 刺繍展で繋がるミナ ペルホネンの世界

 「ヨコハマ・パラトリエンナーレ(略してパラトリ)2020」が先月中旬、オンラインと横浜市役所を会場に開催されました。
 これは「障がい者」と「多様な分野のプロフェッショナル」による現代アートの国際展です。コア期間中にはたくさんのイベント・プログラムが組まれていました。
 私はその一つ、刺繍のプロジェクト「sing a sewing」を見てきました。これは港南福祉ホームの方たちが一針一針、刺してつくった刺繍の展覧会です。生地はファッションブランドのミナ ペルホネンが提供しています。ミナ ペルホネンはこの協働プロジェクトを2013年から毎年続けているといいます。Img_26241
 ミナのファンタジーあふれるプリントたちが、刺繍でさらにふんわりと温かいぬくもりに包まれて、やさしい空気感に満ちた空間を構成していました。それはもう一つの新しいミナ ペルホネンの世界でした。Img_26181_20201221112201 Img_26291
 ミナ ペルホネンのデザイナー、皆川 明さんが出演したオンライントークも視聴しました。刺繍プロジェクトに参加されていた方たちが、「布を選ぶことが楽しい」と言っていたのが印象的です。
 皆川さんが「今度は服に刺繍してみよう」と提案されたら、皆さん生き生きとした表情になって「ぜひやりたい」と。
 次回は額装の作品だけではなく、服も見られるのかもしれません。素晴らしいですね。

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2020年12月13日 (日)

「明治神宮の鎮座」展で修復中の大礼服特別展示に感銘

 先頃まで明治神宮ミュージアムで開催されていた明治神宮鎮座百年祭記念展「明治神宮の鎮座」展に行って来ました。お目当ては、先般のシンポジウム「美の継承―明治の皇后のドレスをめぐる探究の物語」で伺った修復中の大聖寺門跡所蔵の大礼服特別展示です。

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 明治神宮ミュージアムは昨年10月に開館したばかりの真新しい建物でした。設計を手がけたのは隈研吾氏で、日本伝統の入母屋造の建物が杜の緑に溶け込み、しっとりと落ち着いた雰囲気を醸し出しています。
 1階は明るく開放的で、外の緑の木立とつながるつくりになっています。いつまでもいたくなるような居心地のよい空間でした。
 常設の宝物展示と特別展が見られるのは2階です。ここに明治天皇や昭憲皇太后ゆかりの品々とともに、大礼服修復プロジェクトで修復が進められている大聖寺門跡所蔵の大礼服が展示されていました。

 この現存する最古の大礼服はどこでつくられたのでしょうか?
 Scan0202 生地は「日本製では」との声も多くあるそうですが、当時の日本のジャカード織機ではこのような複雑で大胆な文様を織り出すことは不可能だったと思われているようです。バラの花葉模様というのもヨーロッパ的ですね。(写真はパンフレットから)
 しかしながら、昨日のこのブログに書いた大礼服修復復元プロジェクトの実行委員長のモニカ・ベーテさんによると、金属刺繍の裏にあった補強用の和紙に日本語の文字が見つかり、これこそ日本製の証拠ではないかといいます。
 一方、仕立ては明らかに日本で行われたようです。明治21年の記録に御所内で大礼服を縫ったとの記載があり、縫い糸がヨーロッパであまり使われていない二本撚り糸であることや、縫い方の特徴などから日本でつくられたとみられているのですね。

 それにしても破損個所の修復という作業の何と細かくて複雑なこと!知れば知るほど深い超絶技巧に感銘させられました。

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2020年12月12日 (土)

明治神宮鎮座100年記念シンポジウム 皇后のドレスに思う

 Scan0201 大正9年(1920)鎮座から100年の節目を迎えた明治神宮で、この10~12月にかけて鎮座100年祭が行われました。
  その行事の一つが「美の継承―明治の皇后のドレスをめぐる探究の物語」と題した記念シンポジウムです。
 洋装を奨励し近代化に貢献した昭憲皇太后と皇后の大礼服に思いを巡らしてきました。
 シンポジウムの表題は、第一部「明治の皇后と日本の近代化」、第二部「昭憲皇太后大礼服の隠された物語」です。

 第一部では、一番手に国際文化研究センター副所長・教授 瀧井一博氏が登壇。「明治維新の完成―1889年の大日本帝国憲法の制定」について、明治維新とは新文明の創造であり、明治憲法とともに大礼服がその象徴的存在であることなどを講演されました。
 
 二番手として演壇に上ったのが京都服飾文化研究財団理事・名誉キュレーター 深井晃子氏です。「明治時代における日本と世界の宮廷服」をテーマに語られました。そのお話しを簡単にまとめてみます。
 明治という年代は「洋服」という言葉が生まれ、洋装が西欧化の象徴となった時代です。宮廷での儀式の際に着用された宮廷服には日本固有の「和」に加えて西欧の「洋」が採用され、明治19年に女子宮廷服が制定されました。
 洋式の宮廷服で最上級の正装が「大礼服」で、フランス語で「マントー・ドュ・クールmanteau du court」、英語で「コート・トレーンcourt train」と呼ばれ、ドレスにトレーン(引き裾)が付いているのが特徴です。「中礼服」はネックラインを深く大きくカットした「ローブ・デコルテrobe  décolleté」でイブニングドレスとして用いられ、それを少し抑えた「小礼服」を「ローブ・ミーデコルテrobe mi- décolleté」、通常礼服は首元を隠す昼用のドレス「ローブ・モンタントrobe montante」と解説。
 次いで西欧の有力女王たちのマントー・ドュ・クールを紹介。アーミンの毛皮を裏張りしたものなど、華麗です。トレーンは格式が高いほど長く重かったとか。
 日本に現存するマントー・ドュ・クールは、昭憲皇太后の大礼服で3種類あるそう。最古のものが大聖寺門跡のもので、トレーンは最も長く4m、幅も1.76mとかなり広い。ボディスはレーシング締めで、スカートは失われてしまったものの当時流行のバッスルスタイルだったといいます。生地はバラの花を織り出した紋織りに重厚な刺繍を施したもので、刺繍糸にモール糸が使われていることに着目しているそう。オーストリアのハプスブルグ家で使われていたものと共通点があるといいます。
 生地がどこでつくられ、どこで仕立てられたのか、まだまだ謎に満ちている様子です。なお他の二つの大礼服については生地も仕立ても日本製だそう。
 昭憲皇太后は自ら率先して洋装し、国産の生地や縫製など、国内繊維産業の推進促進に尽力されたといいます。皇后の近代化への強い願いを感じます。
 
 三番手は中世日本研究所所長のモニカ・ベーテ氏です。ベーテ氏はこのプロジェクトの発起人で、研究修復復元プロジェクトの実行委員長でもあります。「昭憲皇太后と大礼服」と題して、大礼服修復やプロジェクト設立の経緯などを、英米独仏プロジェクトの研究成果をもとに講演されました。

 第二部「昭憲皇太后大礼服の隠された物語」は登壇者によるディカッションです。美しい大礼服の不可解な傷み、国内外の専門家のアドバイス、西陣の職人さんたちの困難な作業など、興味深く拝聴しました。

 私たちは伝統をどのように次代へ引き継いでいくことができるのか、改めて考えさせられたシンポジウムでした。

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