ルイ・ヴィトン財団 「バスキア×ウォーホル 4本の手」展
パリに来て、この春からフォンダシォン・ルイ・ヴィトンで開催されていた「バスキア×ウォーホル 4つの手」展を訪れました。猛暑が続いているときでしたが、来場者が多く、会場はかなり混んでいました。
本展はジャン=ミシェル・バスキア(1960-1988)とアンディ・ウォーホル(1928-1987)という二人のアメリカ人アーティストが、1984年から1985年にかけて、制作した約160点を展示する展覧会です。
タイトルの「4本の手」はこれらの作品群が二人の協働によるものであることを表しています。
架かっていたのは、広い壁を埋める巨大な大作です。その一つ一つに二人の深い友情が感じられ、何とステキなこと! と思いながら鑑賞しました。
実際、バスキアは、ウォーホルをアートの世界の重要人物でありポップカルチャーを開拓した年長者として賞賛していましたし、ウォーホルは、バスキアの中に絵画への新たな関心を見出し、非常に大きなスケールの絵を描くようになったといいます。
上の写真左手前は、バスキア×ウォーホルの“ZENITH” (1984- 85)と名付けられた作品です。2014年のオークションで1145万ドルで落札され、ポップアートの中では最高額を記録した作品の一つといいます。
上は、バスキア×ウォーホルの“エッフェル塔” (1985)です。来年はパリ五輪の年とあって、主催者が二人のフランス愛を象徴するような作品を出品したのかなと思いました。
お互いの自画像も出品されていて興味深かったです。
上は、バスキアがウォーホルを描いた作品 (1984)です。
当時ウォーホルは手術や暗殺未遂のために、体に多くの傷跡があったそうです。
そんな傷ついたウォーホルを、バスキアはウィットを効かせて描写しています。
右は、ウォーホルの作品(1984)で、バスキアをダビデ王として描いたもの。
見どころはいろいろあって尽きないのですが、最後に印象に残った作品を紹介します。
それが上の“Gravestone(墓石)”です。
1987年、ウォーホルは胆嚢手術を受けた際に、急に容態が悪化し、58歳で亡くなってしまいました。バスキアは彼の死を悼み、この作品を制作したといいます。でもそれなのにバスキアもウォーホルが亡くなった翌年に、薬物依存が酷くなって、27歳の若さでこの世を去ってしまうのです。
1980年代のニューヨークといえば、エイズの出現や人種差別、暴力、宗教などで揺れていた時代でした。二人の類まれな作品には、当時のアーティストたちの悩みが窺えるようでした。
アートシーンに彗星のように現れ、悲劇的な死を遂げたバスキア。その短い生涯で、永遠のインスピレーションとなり、アートの歴史に深い足跡を残しました。
ウォーホルとの「4本の手」、久しぶりに心に響く感動を呼び起こした展覧会でした。
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