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2023年9月 4日 (月)

パリ 装飾芸術美術館 「髪と体毛」展

 パリの装飾芸術美術館で開催されていた「髪と体毛」をテーマした、ちょっと珍しい、でもワクワクする企画展に行ってきました。

1_20230911170201  常に生え変わる髪や体毛。そのあり様は、実は私たちの社会と身体を支配する多くのルールの象徴であり、宗教や政治、ファッション、健康、世の中の動きとともに変化しています。
 本展は15世紀から現代まで、時代や社会の意識とともに移り変わってきた髪型や顔のうぶ毛、体の毛の歴史を探りながら、人々がどのような意識で採り入れ、描写してきたかを読み解く展覧会でした。展示総数600点以上という大規模展です。マリー・アントワネットのお気に入りのカリスマ美容師であるレオナール・オーティエから、カリタ姉妹、ヘアアクセサリーのアレクサンドル・ド・パリなど、昔も今も続く職業と技術が、その象徴的な人物とともに紹介されていました。 

 展示は全5章構成で、その内容を章別にまとめてみました。

第1章「モードと奇抜さ」
 ここでは女性の髪型の変遷が焦点です。
Img_48011  中世では15世紀頃まで、聖パウロの戒めに従い、女性にはベールの着用が義務付けられていましたが、徐々に女性たちはベールを捨て、新しい奇抜な髪型を採用していきます。
 17世紀末には、ルイ14世の愛人にちなんだ「フォンタンジュ」(右の写真)が大流行します。そして18世紀後期には「プーフ」と呼ばれた高く結い上げた巨大髪型が出現しました。 
 19世紀初期には、古代ギリシャに触発された髪型が登場、中期には巻き毛が全盛となり、後期にはロココを再現したような「ポンパドゥール風」と呼ばれる髪型など、様々な精巧なヘアスタイルが現れました。

第2章「毛か、それとも無毛か」
 中世には、顔の無毛が主流でしたが、1520年ごろになると、ひげが勇気と力のシンボルとして台頭します。

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 16世紀初頭には、フランソワ1世、ヘンリー8世(上の写真)、カール5世など、西洋の三大君主が若くして、ひげを持つことは男らしさと戦士の精神を表すものとされるようになります。
 1630年代から18世紀末までは、無髭の顔とかつらが宮廷社交界の男性のスタイルでした。顔の毛は19世紀初頭に再び到来、口ひげやもみあげ、ひげが一般的になります。この時代は男性ファッション史上、最も毛深い時代だったとされています。ひげや口ひげに対する熱狂を示す多くの小道具(ひげ固定具、ブラシ、パーマ用のアイロン、ワックスなど)が登場しました。
 20世紀になると、ひげ、口ひげ、無髭のスタイルが繰り返し現れるようになります。現代は、ひげを薄くする方向にシフトしていますが、1970年代以来見かけなかった口ひげが再び人気となるなど変化が見られます。
 また体の他の部位の毛を保持、除去、隠す、または公然と表示する選択も、展示されていました。古典絵画ではつるつるの体が理想の体を表す一方、毛深い体は男らしさや下品さと結びついていたといいます。
 現代では1970年代に、男性の体毛やそれに伴う男らしさが堂々と表現されるようになりましたが、しかしそれまでは、とくに50年代に多毛は時代遅れとされていたのです。21世紀に入り、裸で写真を撮るスポーツ選手たちは、厳密に整えられた体毛を持つようになっています。

第3章「自然と人工の間で」
 髪を整えることは、個人的な行為であり、良家の女性は髪が乱れている姿を公然と見せることはなかったといいます。

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 1864年にフランツ・クサーヴァー・ウィンターハルターによって描かれた、皇后エリーザベト(通称シシー)が部屋着姿で髪を解いた絵(上の写真)は、厳格にフランツ・ヨーゼフの個人の部屋に飾られていたそうです。
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 また非常に若い頃に禿げてしまったルイ14世(上の写真)も、いわゆる「生えている髪」のかつらを着用し、宮廷にそのスタイルを広めました。
 20世紀には、アンディ・ウォーホルも同じ経験をしたといいます。彼が禿げを隠すために着用したかつらが、芸術家のアイコンとして称えられたのです。現代では、かつらやかつらのような髪の付け毛は、ハイファッションやファッションショー、そしてもちろん、髪の薄毛を補うために使用されています。
 また、髪の自然な色とその象徴性についても研究が行われ、髪の色が伝えるメッセージが解説されていました。ブロンドは女性や子供の色であり、赤毛は誘惑的な女性や魔女、そして一部の有名な女優に関連付けられています。黒髪やブラウンヘアは強い気性を示すものとされていたとか。19世紀の実験的な髪の色付けから、1920年代以降の確立された染料まで、人工的な髪の色のプレゼンテーションも見られました。

第4章「美容関連の職業と技術」
  髪や毛のケアに関連する様々な職業、理髪師や理髪師兼外科医、髪をスチームで整える人、かつら師、女性の髪をセットする美容師などと、古文書や様々な小道具、看板、ツール、美容機器、さらに1920年代の驚くべきパーマネントマシンなどの機械の展示も行われていました。
 美容関連の技術はとくに1945年にフランス高級美容術(Haute Coiffure Francaise)グループが創設されたことにより、芸術的な分野へと高められ、フランス独自の技術として確立したといいます。この高級美容術は今では一流ファッションブランドのショーやトップモデル、ショービズで表現され、進化している様子です。 

第5章「100年の髪型を振り返る」
 このセクションでは、20世紀と21世紀のアイコニックな髪型を振り返ります。1900年代のシニョン、1920年代のボーイッシュ・カット、1930年代のパーマとウェーブ、1960年代のピクシーカットとビッグヘア、1970年代のロングヘア、1980年代のボリュームのある髪型、1990年代のレイヤーカットとブロンドのハイライト、ナッピーヘア(黒人女性の髪型)など、時代を代表するヘアスタイルの数々がディスプレーされていました。
 中でも興味深かったのは、特定のグループに属することを表明する髪型で、パンクのモヒカンやグランジの乱れた髪、スキンヘッドの坊主刈りなどです。社会や既存の秩序に対抗する政治的、文化的な表現として機能し、社会的なメッセージを発信する重要な要素となっていました。
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 最後が現代のデザイナーによる実験的な試みです。そこに見られたのはマルタン・マルジェラやジョセフス・ティミスターらによる、髪の毛をファッションの対象に昇華させたコレクション(上の写真)でした。
 他人の髪を着用するという不気味な行為は、反道徳的ではと思われてきましたが、彼らはいともたやすくこの迷信を断ち切ったのです。

 本物であろうと人工であろうと、毛髪の可能性は大きいと感じた展覧会でした。

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