ピエール・カルダン氏逝去 ファッションの未来創った先駆者
昨年末12月29日に世界的天才デザイナー、ピエール・カルダン氏の訃報を知りました。ニューヨークで大回顧展が開催され、ドキュメンタリー映画『ライフ・イズ・カラフル! 未来をデザインする男 ピエール・カルダン』が公開されて、私も見に行きたいと思っていた矢先のことでしたので、衝撃でした。
昨年はカール・ラガーフェルド氏、山本寛斎氏、高田賢三氏と有名ファッションデザイナーが次々に死去された年でもあり、一時代が終わったという印象です。
ピエール・カルダン氏は、ファッションの未来を創った先駆者でした。1960年代に打ち出した宇宙(コスモコール)ルックは、未来主義(フューチャリズム)と呼ばれ、この時代を象徴するスタイルになっています。幾何学的なデザインやAラインのシルエットは現在も受け継がれて、デザイナーのクリエイションに大きなインスピレーションを与えています。 (写真は2014年に撮影したパリのブティックのウインドー)
同時代を生きたイヴ・サンローラン氏がクラシックなエレガンス派とすれば、カルダン氏は革新派のカリスマでした。オートクチュール組合に所属しながら1959年に初の既製服(プレタポルテ)を発表してブーイングを食らったり、また初めてライセンスビジネスに乗り出して「オートクチュールなのに、見苦しい」と散々非難されたり。それでも動じることはなく、堂々と信念を貫きました。ライセンス生産は800以上ものアイテムに上り、トイレマットにまでPCのロゴが付いて、驚かされたのを覚えています。
紳士服プレタポルテを手掛けたのもカルダン氏が最初でした。男女差のないデザイン、たとえばジャケットの前開きをボタンではなくファスナーで打合せるなどを提案、まさにジェンダーレスのパイオニアだったのです。ロシアや中国で誰よりも早くショーを開催したり、国籍や肌の色に関係なく多様性に富んだモデルを招いたり。松本弘子さんは日本人専属モデルの第一号でした。その後の日本人モデルの活躍ぶりはパリコレで見る通りです。
常に時代に先駆け、何もないところから事業を始めて成功させてきたカルダン氏です。振り返ってみれば、ファッション、アート、不動産の帝国を率いる唯一の独立した実業家クチュリエになっていました。
2011年にはブランドを売ろうと画策し、10億ユーロを要求したそうですが、買い手は見つかっていないとか。不動産では1970年にオーナーとなったエスパス・ピエール・カルダン劇場をパリ市に売却したり、また自身がノータイで入ろうとして門前払いされたマキシム・ド・パリを買い取ったり。マルキ・ド・サドのラコスト城の購入、南仏にある別荘のバブルハウスを現在も売りに出していることなど、もうプロ顔負けの土地ころがしです。
その巨大な資産を継ぐのは誰でしょう。名乗りを上げる人はいるようですが、後継デザイナーは未定の様子です。
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