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2020年12月12日 (土)

明治神宮鎮座100年記念シンポジウム 皇后のドレスに思う

 Scan0201 大正9年(1920)鎮座から100年の節目を迎えた明治神宮で、この10~12月にかけて鎮座100年祭が行われました。
  その行事の一つが「美の継承―明治の皇后のドレスをめぐる探究の物語」と題した記念シンポジウムです。
 洋装を奨励し近代化に貢献した昭憲皇太后と皇后の大礼服に思いを巡らしてきました。
 シンポジウムの表題は、第一部「明治の皇后と日本の近代化」、第二部「昭憲皇太后大礼服の隠された物語」です。

 第一部では、一番手に国際文化研究センター副所長・教授 瀧井一博氏が登壇。「明治維新の完成―1889年の大日本帝国憲法の制定」について、明治維新とは新文明の創造であり、明治憲法とともに大礼服がその象徴的存在であることなどを講演されました。
 
 二番手として演壇に上ったのが京都服飾文化研究財団理事・名誉キュレーター 深井晃子氏です。「明治時代における日本と世界の宮廷服」をテーマに語られました。そのお話しを簡単にまとめてみます。
 明治という年代は「洋服」という言葉が生まれ、洋装が西欧化の象徴となった時代です。宮廷での儀式の際に着用された宮廷服には日本固有の「和」に加えて西欧の「洋」が採用され、明治19年に女子宮廷服が制定されました。
 洋式の宮廷服で最上級の正装が「大礼服」で、フランス語で「マントー・ドュ・クールmanteau du court」、英語で「コート・トレーンcourt train」と呼ばれ、ドレスにトレーン(引き裾)が付いているのが特徴です。「中礼服」はネックラインを深く大きくカットした「ローブ・デコルテrobe  décolleté」でイブニングドレスとして用いられ、それを少し抑えた「小礼服」を「ローブ・ミーデコルテrobe mi- décolleté」、通常礼服は首元を隠す昼用のドレス「ローブ・モンタントrobe montante」と解説。
 次いで西欧の有力女王たちのマントー・ドュ・クールを紹介。アーミンの毛皮を裏張りしたものなど、華麗です。トレーンは格式が高いほど長く重かったとか。
 日本に現存するマントー・ドュ・クールは、昭憲皇太后の大礼服で3種類あるそう。最古のものが大聖寺門跡のもので、トレーンは最も長く4m、幅も1.76mとかなり広い。ボディスはレーシング締めで、スカートは失われてしまったものの当時流行のバッスルスタイルだったといいます。生地はバラの花を織り出した紋織りに重厚な刺繍を施したもので、刺繍糸にモール糸が使われていることに着目しているそう。オーストリアのハプスブルグ家で使われていたものと共通点があるといいます。
 生地がどこでつくられ、どこで仕立てられたのか、まだまだ謎に満ちている様子です。なお他の二つの大礼服については生地も仕立ても日本製だそう。
 昭憲皇太后は自ら率先して洋装し、国産の生地や縫製など、国内繊維産業の推進促進に尽力されたといいます。皇后の近代化への強い願いを感じます。
 
 三番手は中世日本研究所所長のモニカ・ベーテ氏です。ベーテ氏はこのプロジェクトの発起人で、研究修復復元プロジェクトの実行委員長でもあります。「昭憲皇太后と大礼服」と題して、大礼服修復やプロジェクト設立の経緯などを、英米独仏プロジェクトの研究成果をもとに講演されました。

 第二部「昭憲皇太后大礼服の隠された物語」は登壇者によるディカッションです。美しい大礼服の不可解な傷み、国内外の専門家のアドバイス、西陣の職人さんたちの困難な作業など、興味深く拝聴しました。

 私たちは伝統をどのように次代へ引き継いでいくことができるのか、改めて考えさせられたシンポジウムでした。

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