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2018年8月19日 (日)

服飾文化学会夏期セミナー⑶ 松永はきもの資料館を訪問

 広島県福山市に来てカイハラの工場へ向かう前に訪問したのが、松永町にある「松永はきもの資料館(愛称:あしあとスクエア)」です。ここはこの町に元々あった日本はきもの博物館の資料を引き継ぎ、2015年にオープンした施設だそう。
 この日は本来休館日でしたが、私たちのために特別に開館していただきました。職員の皆様に感謝です。

 この松永地域は“い草”の産地で、昔から草鞋や草履づくりが盛んに行われていたそうです。
Img_35201  左は入口付近で目に付いた巨大な草鞋(わらじ)です。これは「奉納大草鞋」で、高さは5.25mもあるとか。“はきもの”は人と大地の接点として、昔から信仰の対象でもあったのですね。
 この資料館には古くは縄文から現代まで、また世界中の“はきもの”資料が13,000点収蔵されているといいます。また隣接する玩具館には18,000点もの昔懐かしい玩具が所蔵されているそうで、見応えたっぷりなのです。実際想像していた以上の展示品の質と量に驚嘆しました。

 とくに“はきもの”で、これはと思ったものを少しご紹介していきます。

Img_35271  右は「古代人の足あと」。
 何と縄文時代晩期の人の足あと(左)と足形(右)が展示されていてびっくり! 福岡県板付遺跡から出土したものだそう。
 “はきもの”が登場してくるのは古墳時代以降のことです。ですから縄文人も弥生人も裸足で歩行していたようなのです。現代人の足と違って、指が扇状に開いていて、ふんばりがきく形をしています。足裏も強かったのでしょうね。

Img_35371  右は古墳時代後期の金銅製の履を復元したものといいます。
 きらきら輝く豪華なもので、このようなものが既にあったとは! ちょっと驚きです。
 貴族や裕福な武将が履いたもののようです。

Img_35511jpg  上は足袋です。足袋も昔は皮でつくり、指も分かれていなかったといいます。指が分かれるようになるのは、そのまま草鞋や草履をはくようになってからだそうです。鎌倉時代に入ると武士の正装として鹿皮の足袋が用いられるようになります。木綿の足袋がつくられて愛用されるようになるのは、江戸時代以降のことだったのですね。

Img_35991  芸能の世界での特別な“はきもの”も展示されています。上は文楽人形遣いの下駄や、道化師の下駄など、まさに珍品!

Img_36031_2  労働するために工夫された“はきもの”の種類の多いことにも驚きます。 右は、“ナンバ”と呼ばれる板型の田下駄の一種です。
 猪苗代湖畔の田んぼで使われていたものだそう。

Img_35671_4    オーストリアのベルベット製のプーレーヌも出品されていました。
 19世紀にオペラの舞台で用いられたものといいます。

 

Img_35581  イチロー選手のスパイクシューズです。所属していたオリックス・ブルーウェーブが1996年に優勝したときのものとか。

 この他オリンピックなど有力スポーツ選手のシューズもたくさん展示されています。

Img_35711  宇宙の“はきもの”として、“ルナブーツ”を復元した月面靴もありました。
 ルナブーツとは1969年にアポロ11号でアームストロング船長が月面に第一歩を記したときに履いたものです。米国NASAからはきもの資料館5周年記念展のため借用し、それを実物同様に製作したものだそう。着脱は後部のジッパー開閉によるオーバーブーツです。

 他にもいろいろ。一見の価値ある資料が見つかるのではないでしょうか。   

 玄関を出ると、カラフルな広場が目に飛び込んできました。
Img_36051_3
 これは日本のモダンアートの巨匠、今は亡き岡本太郎が1978年に造園した「足あと広場」です。
 陽光に照らされて、明るく輝いていました。

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