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2017年7月 6日 (木)

日本のジュエリーの歴史と美 ― 近代の髪飾り、帯留、指輪

 先般6月27日、東京・南青山で日本ファッション協会うらら会主催により、「日本のジュエリーの歴史と美 ― 近代の髪飾り、帯留、指輪など」と題したセミナーが行われました。講師は、宝飾研究家で日本宝飾クラフト学院理事長 露木 宏氏です。
Img_82791  同氏は日本のジュエリー研究の第一人者で、コレクターではないとのことですが、約3,000点ものジュエリーを所蔵し、その整理に追われる毎日をお過ごしといいます。日本は欧米と異なりジュエリー研究者が非常に少なく、研究はまさにこれからであるとも。
 今回のセミナーでは、つい先頃閉幕した横浜美術館の「ファッションとアート、麗しき東西交流展」でのご講演を基に、日本女性がいかに装身具に愛着を示し、おしゃれを楽しんできたのかを、豊富な資料とともに語っていただきました。
 最初はネックレスとブローチです。明治時代にネックレスは「首掛け飾り」、ブローチは「襟留」と呼ばれて和服に採り入れられたといいます。鏑木清方の作品「嫁ぐ人」にも見られるように、とくに明治40年頃に流行したとのことです。とはいえ当時の女性は、西洋のものだから何でも受け入れた、というのではなかったそうで、たとえばイヤリングはしなかったとか。その頃のイヤリングはピアスで、身体を傷つけることを善しとしなかったといいます。ジュエリーも単なる飾りではない実用性があることが支持され、ネックレスには懐中時計が付き、ブローチは「襟留」というように、文字通り半襟を留めるためのものだったとか。昔の女性は堅実だったのですね。
 次に束髪用の髪飾りについて。日本髪に替わる髪型として、明治初期、女学生の間から束髪が流行り始め、花簪を飾ったとか。明治41年頃にべっ甲の櫛が復活し、昭和初期には櫛が落ちにくい波状の歯のものが出てきたり、アールヌーボー調の曲線を多用した簪が好まれたり---、実物を見ながら解説していただきました。
 また帯留の話も、興味深かったです。1800年頃から帯幅が広くなり、帯を留める目的で始まったのが帯留とか。明治時代にはパチン式が登場し、男性もつけていたそうです。大正時代には引っ掛けて留める引っ掛け式が主流となり、昭和になると帯を留める必要がなくなり、現在のような紐通し式になったそうです。天賞堂のコレクションなどを見せていただきました。 
 さらに指輪です。実は指輪は江戸時代から人気のアクセサリーだったといいます。但し今と違うのは右手の小指に付けていたこと。「指切りげんまん」の歌が残されているように、指輪には愛の誓いという意味が込められていたといいます。指輪は明治になって突然出てきたものではなかったのですね。なので結婚指輪など、西洋風の習慣はすんなりと受け入れられたといいます。明治後期には結婚リングは当たり前になっていったようです。とくに愛好されたのはプラチナで、大正期には誕生石の指輪も登場し、人気を集めたといいます。
 しかし日本では多くのジュエリーが、戦争で供出されてしまったのですね。残されたものはわずかだったというのが残念です。

 お話を伺って、和装にアクセサリーは要らないのでは、と思っていたのが、みごとに覆されました。日本のジュエリーには浅いどころか、奥の深い、長い歴史がありました。
 改めて日本女性の美意識の高さに感じ入った講演会でした。

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