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2017年7月 3日 (月)

髙田賢三さんに聞く パリと東京のデザインとビジネス

 ファッションデザイナーの髙田賢三さんをゲストにお迎えするワークショップが、先月16日、東京・渋谷のカラート71で開催されました。世界のファッション業界で功績を残したセレブの登場とあって、会場はこのプロジェクト始まって以来という170名もの関係者が集まり、盛会でした。

1  テーマは「成長の時代から成熟の時代へ 髙田賢三さんに聞く パリと東京のデザインとビジネス」です。お話は、昨年、30回にわたり連載された日本経済新聞の「私の履歴書」を中心に対談形式で進行しました。

 文化服装学院を卒業後、三愛に入社し、1964年、24歳でパリへ渡った賢三さん。このときインドや中東を回る1ヵ月の船旅をしたことが、その後エスニック調ファッションで「世界のケンゾー」を生む土台になったというのが印象的でした。
 また当時は日本人への差別も大きい時代でしたから、ご苦労もあったようです。ファッション画を売り歩いていたあるとき、ルイ・フェローで絵が5枚売れ、ここで元気が出て、人生が変わったと感じたそうです。これがまさに転機だったのですね。
 1960年代末に自身のブティックをオープンします。生地はプリントを使おうとパリ中を探したそうですが、リバティくらいしかなく、帰国して日本的な柄を意識して調達したとか。着物や浴衣、絞りなどだったといいます。また形も日本の平面的な裁断が新鮮に見えたそうです。着物のゆとりに注目し、「衣服からの解放」を目指して、直線裁ちで縫い目のあまり無い服、「サン・クチュール」と呼ばれたドレスをデザインします。それが当たって、時代の寵児となっていったのですから、ほんとうに人生って不思議です。
 当初、お店の名前が「ジャングル・ジャップ」だったことも思い出されました。ジャングルというのは、賢三さんが好きだったアンリ・ルソーの絵画からとったものだったことを知りました。あの頃、この名称でいろいろ揶揄されたこともあったのですね。
 1970年代は楽しかった、と回想します。それが1980年代、会社の規模が大きくなるにつれ、制約も増えていったとか。シルエットもボディコンシャス礼賛となり、ファッション感覚が離れていくのを感じ、とうとう「ケンゾー」ブランドをルイ・ヴィトンに売却します。さぞかしつらい時期だったのではないでしょうか。

 現在も創作活動を続けている高田賢三さん。女性の美しさはしぐさ(動作)にあるとのことで、どうやら伝統的な日本の女性らしさに惹かれているご様子でした。
 最後に今後の方向を問われて、メンズファッションに興味があるそう。着用されていたサンローランのスーツがお似合いでした。ますますのご活躍を期待しています。

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