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2016年6月12日 (日)

日本の化粧文化― 赤白黒の伝統美から色彩の現代美へ―

 先般、文化学園大学で服飾文化学会大会が開催され、特別講演が行われました。
Img_60931jpg  登壇したのは、元ポーラ文化研究所主任学芸員で文化学園大学、愛知県立芸大非常勤講師の津田紀代氏です。「色彩からみる日本の化粧文化― 赤白黒の伝統美から色彩の現代美へ」をテーマに、日本の化粧文化から、その独特の洗練された美意識の変遷を、色彩を切り口に語られました。

 まず赤化粧です。赤さびなど赤い顔料を顔などに塗る風習は、埴輪や魏志倭人伝の記述などにみるように非常に古くから行なわれていたことがわかっています。実は私は、縄文遺跡で有名な三内丸山遺跡を訪れ、そこで発見された漆塗りの櫛を見たことがあります。縄文人もうるし赤で自分を表現していたのではないかと、思われているのです。
 江戸時代になると紅花から抽出した紅が彩りを添える色として普及します。とはいえ紅は高価で、紅一匁が金一匁で取引されたとか。文化文政期には、玉虫色に発色する緑色の笹色紅が流行ったそうで、これを下唇に施し、その上に赤い紅を差しました。庶民は笹色紅の代わりに墨をつけて気取ったようです。浮世絵によく描かれているのを見ますが、面白い流行ですね。
 白化粧は、「色の白きは七難隠す」といわれ、素肌を見せるのははしたないという美意識の広まりもあって、白粉化粧が日本髪と着物の調和美を完成させるためになくてならないものになったといいます。とくに念入りに行われたのが額や襟足の生え際の形を整える際化粧で、顔から襟足、首、背中、胸にも塗ったそうです。襟足や首を濃い目に塗ると、顔が美しく見えると、顔の方は意外にも薄化粧だったともいいます。
 驚かされたのが黒化粧です。それは今はもう時代劇でも女優が嫌がってしないというお歯黒の習慣です。既婚女性は貞淑の印として歯を黒く染めたのですね。子どもが生まれると眉も剃ったといいます。遊女は子がないので眉は剃らなかったのですが、客への貞節を示すためにお歯黒はしたそうです。上流女性は置き眉といって、実際の眉の位置よりも上に眉を描く眉化粧をしていたといいます。
 眉はもっとも感情が表に出る部分です。眉無しは、自分自身を出せない状況になったことを意味するという津田氏の言葉に、江戸時代の女性が置かれた立場を何ともやるせなく思ったことでした。

 明治維新後は、この身分を表す黒化粧は廃れ、白化粧では鉛毒のない無鉛白粉が開発され、白から肌色が登場します。女性たちは自分の肌の色を自覚するようになり、現代の自然美へと移っていくのです。
 おちょぼ口ではなく大きな口になったり、真っ赤な口紅やピンクメイクが流行ったり、眉も和風の三日月眉から洋風の太眉に変化したり、1960年代にはツイッギーブームでアイメイクがもてはやされるようになるなど----。肌の色も小麦色の肌が賛美された1970年代から、80年代になると紫外線の害が叫ばれ一転、美白志向となって、いつの間にか肌色という色名が差別用語とみなされてか消滅してしまいました。ネイルアートもこれほど盛んになるとは!誰が想像したことでしょう。
 最後に今、高齢社会となって、求められているのが若さと健康を表現する化粧といいます。このあたりのこと、次はもっとじっくりお話しを伺いたいものです。

 社会の様相を映し出す化粧文化の奥深さ、その一端をわかりやすく解説していただいた素晴らしい講演会でした。

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